大野眞輝 official blog

うつ発症 

time 2017/09/24


今から2年前。

2015年の夏。

私は、突然うつ病になった。



 

ある時、突然心の糸が切れた

当時、私は教員7年目だった。

教員としての生活は本当に、本当に楽しかった。

学級経営も、日々の授業もすごく上手くいくようになっていた。

子どもは正直だ。

だから、

「担任は絶対マー坊先生がいい!!」とたくさんの子に言われた。

小さな規模ではあるが、セミナーの講師として話をする機会も頂けていた。

数ページではあるが、

教員向けの雑誌や書籍の原稿依頼も頂けるようになっていた。

私は、、、、完全に調子に乗っていた。

どのクラスを担任しようが、絶対上手くいく。

知らず知らずのうちに過信をしていた。

 

この年は、初めて6年生を担任することになった。

前年度の5年生の時に学級崩壊をしていた学年だ。

そのことを分かってはいたが、

絶対上手くいくと思っていた。

でも、それは間違いだった。

 

7月頃、クラスがなんだかぎくしゃくし始める。

私に少しずつ反発をする子も出てきた。

完全に私の力不足だった。

今思い出しても、子どもたちに申し訳ないと思う。

 

そして、その日は突然やってきた。

完全にクラスの中の4名が私に背を向けてしまった。

残りの30名近い子たちは、私の方を向いて、私を信じてくれていた。

「先生が好き!」と言ってくれる子もまだたくさんいた。

しかし、私は4名が完全に背をそむけてしまったことが

受け入れられなかった。

 

その瞬間、私の心に過去の記憶がよみがえってしまった。

初任1年目、

そして2年目に子どもたちから背を向けられてしまった記憶だ。

あの当時、辛くて夜になっても寝られず、

何度もドライブに出かけ自分の心を保とうとしていた。

体中に蕁麻疹が出るようになった。

当時、まだ20代前半だったのに、髪の毛もごっそり抜けた。

心のストレスは、身体の不調としてあらわれ、

まるでSOSを出しているようだった。

誤解がないように書くが、

当時も決して子どもたちは悪くない。

私の力が不足していた。

クラスの子どもたちは純粋でとてもいい子たちだった。

 

その時の記憶が蘇ってしまったのだ。

すると、授業中だったにも関わらず、目の前が真っ白になる。

そして、頑張ろう、という気持ちが一切わいてこない。

 

ピンと張りつめていた心の糸が完全に切れた。

 

療養休暇に入る

車の運転すら、集中してできない。

力が入らない。

目の前にある物にピントを合わせて見る、

という人間の当たり前の機能がなくなったような感覚になった。

ぼんやりとしか、物を見ることができなかった。

もう何もすることができなかった。

 

その日、家に帰り、すぐに妻に伝えた。

「学校に行けない・・・・」

療養休暇に入ることになった。

ここから半年間、私のうつ病生活が始まった。

 

うつでも大丈夫

結論を言ってしまえば、うつになっても大丈夫。

2年たって、私は今元気に生活している。

教員という仕事は辞めることになったが、

毎日働くことができている。

だから、うつになっても大丈夫なのだ。

 

このブログでは、私はどのようにうつと向かい合い、

どのようにして自分自身の心と身体を回復させたのか、

それを綴っていきます。

 

何度も書くが、うつでも大丈夫!!

必ず上向く日がくる。



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