2024/09/09
うつになって気づいたこと。
それはうつになるまで、自分を認めるということが不足していたということ。
ありのままの自分を認める。
自分の良さも悪さも、全てを受け入れてあげる。
1.永松茂久さんの話の中で気づいた
先日、永松茂久さんの講演に参加した。
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その中で、永松さんは次のような話を聞かせてくれた。
人間の承認欲求には、いくつかの段階がある。
①自己無力感
この段階にいる人は、自分が価値のない存在だと感じている。この状態を突き抜けてしまうと、その人は自殺をしてしまう。
②自己肯定感
自分の存在を「いい」と思える状態。そのままの自分でいい。ありのままの自分でいい。そんな風に、自分自身をまるごと肯定できる状態。
③自己期待感
自分自身に期待する。自分の能力に対して期待できる状態。「自分ならできる」という感覚。
④自己重要感
人より優れた部分を持っている。人から尊敬されている。自分は価値のある存在だと認めてもらえる。社会的地位が上がる(社長など)と、満たされやすくなるもの。
大事なことは、段階を経て、④自己重要感に辿り着く必要があるということ。
これは建物づくりで例えると、とても分かりやすい。
まず、土地をならして雑草を抜き、①自己無力感のない状態にする。
その後、②自己肯定感という建物でいう基礎をきちんと作る。
そして、③自己期待感という柱をたてる。
最後に、④自己重要感という家を建てなければならない。
(本当はこの後、自己表現→自己実現と進んでいくのですが、この記事では割愛します)
この順番を無視して、基礎がない、柱がないのに、自己重要感を満たそうとすると、大変なことが起きる。
そう。
私は、それをプチ体験したのだ。
2.ボロボロの自己肯定感
私は、小学校の教員だった。
新卒一年目。
期待に胸を膨らませていた日々は、3日で終わった。
学級開きをスタートして、3日で学級崩壊。
本当につらかった。
毎日、学校に行くのが辛かった。
全身の皮膚に蕁麻疹ができた。
車で事故ったら、学校に行かなくてもいいのか、なんて通勤の時に思っていた。
自分が信じられなくなった。
自分の良さが分からなくなっていた。
短所だらけの人間なのか、と思ったこともあった。
自分の今までの人生や生き方全てを否定さえている気さえがした。
この時、私の自己肯定感は皆無だった。
でも、このままじゃだめだと思って、学び続けた。
今のままじゃだめ。
でも、学び続けて変われば、いつかよくなる。
自分の今を否定して、新たな自分をつくりあげていった。
いつもいつも、優秀な人と自分を比べて、これではダメだ、と思い続けていた。
いつも何かに追われていた。
いつも焦っていた。
自分に対して、無理やりに期待感を持ち続けた。
そうして、時がたち、新卒5年目。
私の周りが急激に変化し始めた。
3.自己重要感だけが埋まっていく
新卒5年目以降。
急に、学級経営が上手くいきだした。
本当に急激に、だ。
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このことによって、私の自己肯定感が満たされる間もなく、急に自己重要感だけが満たされ始めたのだ。
子どもたちからは、毎日のように
「先生すごい!!」
「先生最高!!」
「来年も先生が担任が良い!!」
と言ってもらえるようになった。
保護者からも同様だった。
1年が終わると、たくさんの保護者から感謝の手紙をもらえるようになった。
卒業生を出したわけではないのに、花束までもらったりした。
有難いことだったのだが、今考えると、私の自己重要感ばかりが満たされていった。
教頭先生には、「マー坊先生の実践をまとめてもらって、校内で発表してもらいたい。」とまで言われた。
君の実践を広めて学校を変えよう。
そんな風に、私よりも二回りも年齢が上の教頭先生が言ってくれていた。
学校外でも、同じような事が起こった。
学級で次々にドラマが起きる。
そのことを、勉強会などで報告していると、新たに出版される本に、自分の原稿がたくさん載るようになった。
セミナーで自分の実践を話す機会も徐々に増えていった。
私は、「尊敬される自分」「人から重要な存在だと認められる自分」こそが自分だと信じ込んでいた。
他者からの評価こそが自分だった。
上手くいっている自分だけが好きだった。
私の心は、基礎や柱がしっかりとしていないのに、豪華な建物を建てようとしている建築物のようだった。
私は、心に空いた穴を、他者の評価で必死に埋めようとしていたのだ。
無意識のうちに、人を見下していた。
「どうして、他の先生は自分と同じような結果にならないの?プロを目指してないの?」
そんな風に、多分上から目線で人を見ていた。
でも、土台がない建物はあっさり崩れ落ちた。
4.谷底へ叩きのめされる
新卒7年目。
転機が訪れた。
前の学年で見事に学級崩壊していた学年を担任した。
私が担任すれば、うまくやれると思っていた。
自信があった。
というよりも過剰な自信があった。
結果、3か月で子どもたちと上手くいかなくなった。
クラスの多くの子は私を信頼してくれていた。
でも、数名の子は私に完全に背を向けてしまった。
そんな自分自身が許せなかった。
「また、新卒の時のような地獄の日々が始まるのか?」
「また、人に自分が重要な存在だと認められない日々が始まるのか?」
「今までの、『尊敬されていた自分』はどこにいってしまうんだ?」
「上手くいっていない自分に価値はあるのか?」
「人から喜んでもらえない自分に存在意義はあるのか?」
「自分って、一体なんなんだ?」
そんな気持ちが次々と押し寄せてきて、気づいたら気持ちの糸が完全に切れていた。
土台のない、私の心の中の建物は、見事に崩れてしまった。
私はうつになったのだ。
自己重要感が満たされなくなった私は、一気に自己無力感の状態まで叩き落された。
(当時の私の自己期待感は偽りであり、自己肯定感はなかった。だから、一気に自己無力感まで落ちていった。)
山の上を目指していたのに、谷底に落ちたのだ。
5.鎧をなくす
うつになって自分が丸裸になった。
今まで、人の評価によってつくり上げてきた鎧はもうない。
自分の悪いところ、良くないところも、もう隠すことができない。
穴だらけの自分。
うつの自分は、誰の評価も受けることができない。
家に閉じこもっているだけで、社会的に必要とされていない。
そんな自分。
でも、それでも私を受け入れてくれた人がいた。
妻と、息子だ。
妻と、息子は、私がどんな状態になっても、いつも受け入れていてくれる。
そのままの私を受け入れてくれる。
うつになる前も、うつになった後も、妻と息子は変わらず私に接してくれている。
そんな当たり前で、とても大事なことに気づいたのだ。
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「自分は自分のままでいいんだ。凸凹で、バランスのとれていない自分も大事だけど、それも大事な自分なんだ。」
そんな風に自分を認めることがちょっとずつできるようになっていった。
だから、うつが回復した。
6.今の自分を許してあげる
そして、転職をして今に至る。
新たな仕事で、成果がでないことだってたくさんある。
怒鳴られることだってある。
でも、そんな自分も許してあげる。
認めてあげる。
辛いときは、「大丈夫」と口に出して自分に言ってあげる。
正当な努力をしていれば、目には見えないけど、根はどんどん伸びていっている。
だから、ありのままの自分を大事にする。
人と比べるのではなく、いつも昨日の自分と比べてみる。
大きく生きよう!!楽しく生きよう!!
7.最後に
読んでくださった皆さんの周りにも、やたら人と比べて見下す上司。
偉そうにいばってしまう先輩。
いませんか?
そういう人は、自己肯定感という土台がなにのに、社会的に高い地位についてしまった人です。
逆に、自分自身がそうなってしまったという人は、もう一度、自分を肯定する気持ちを見直してみてください。
成果がなくても、結果が出てなくても、上手くいっていなくても、そんな自分をまるごと受け入れてあげる。
「大丈夫だよ。毎日少しずつ前進しているよ。」と口に出して、自分に言ってあげてください。
この世に生を受けただけで、もう既に立派な存在で、価値ある存在なのです。