2024/09/09
永松茂久さんの講演「成功の条件」に行ってきました。
感動で心がふるえ、涙が止まらず。
たくさんの勇気をもらいました。
1.やっぱりライブが一番
今まで永松さんの書籍を何度も繰り返し読んでいました。
その度に感動し、明日からの行動につなげていました。
でも、ライブはその感動を凌駕します。
まず、参加者の方のテンションがよく、ノリがよく、明るい!!
どの人もにこやかでキラキラしている。
永松さんの話を聞きながら、何度もうなづき、笑い、感動すると拍手をする。
会場には300名を超す方がいらっしゃったそうですが、本当に良い空気感でした。
永松さんの話にももちろん感動したのですが、会場全体の空気感にも感動しました。
やっぱり、ライブに行くことでしたかその空気感を感じることができません。
2.「何をいうかではなく誰がいうか。」
この言葉を永松さんは何度もおっしゃっていました。
影響力を持たない人が何を言っても人は耳を貸さない。
でも、影響力がある人なら、その人と時間を共有するだけで、周りの人の心を明るくできる。
その人の存在自体が光になる。
この「何をいうかではなく誰がいうか。」という言葉が私の脳裏に深く刻まれました。
確かに、教員の時もその通りでした。
新卒1年目、影響を持たない私は、子どもたちを変えることができませんでした。
何時間、話して分からせようと思っても全然効果なしでした。
しかし、それでも自分を磨き、自己投資を続けていると、ある日から「マー坊先生、すごい!」「マー坊先生を尊敬しています。」と言ってくれる子どもたちが出てきてくれました。
私は、子どもたちを成長させる前に、まず自分自身を成長させようと日々思っていただけです。
でも、いつの間にか、私が1話すと、2も3も、時には10も受け取ってくれる子が出てきたのです。
そこからは加速度的に、子どもたちが信頼を寄せてくれるようになりました。
あの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
人が人を変える、本当はそんな厳かなことは不可能なのかもしれません。
でも、人に「僕もあの人みたいに変わりたい。」と思わせたり、気づかせたりすることは可能です。
やっぱり自身次第。
そう確信しました。
今は、教員を辞めてビジネスの世界に飛び込みました。
まだ、影響力のない若造ですが、日々自分をアップデートして、人に影響を与えることができる人間になりたい。
人を幸せにできる、そんな自分に成長したい。
永松さんの話を聞いていて、私の決意が固まっていくのを感じました。
3.感謝のワーク
永松さんが講演の最後に行ってくれたワークです。
このワークの中で私は、まだ幼い自分を思い出しました。
幼い頃の私は、母親に抱きかかえられていました。
怖くて寝られない夜、母は私と手をつないでくれていました。
小学校の入学式、母と手をつないで歩く私は、「6年生になっても手をつなごうね」と言っていました。
高校の合唱祭で私が指揮をし、優勝した時には「本当に素晴らしい合唱だったね。良かったね!」と私たちの頑張りを素直に認めてくれました。
そんな日々を思い出し、思わず涙があふれてきました。
ずるずると鼻から鼻水が出るほど泣きました。
実は、私は大人になってから、(ここ数年)母と上手くいかなくなっていました。
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でも、そんな歯がゆい気持ちが涙とともに流れていくようでした。
母が喜ぶような自分になりたい。
もっと、自分にはできることがいっぱいある。
そんな風に自然と思えている自分がいました。
4.永松さんと握手
講演後の握手会。
「教員をやっていました。永松さんの著書の中にあった『笑顔 うなづき 天国言葉』で私の教員人生は180°変わりました。」
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そう感謝を伝えることができました。
本当に、私の教員人生は、永松さんの著書の中のこの言葉で激変したのです。
おかげ様で、すっごく楽しい教員人生、幸せな教員人生が歩めました。
感謝の気持ちをお伝えすることが、7年越しの願いでした。
永松さんは笑ってハイタッチをしてくれました。
「一緒にやりましょう!!」といい、固く握手をしてくれました。
感無量でした。
本当に自分がしたいこと。
本当になりたい将来の自分像。
それがくっきりと見え始めた一日でした。
運営してくださったスタッフの皆さん、主催してくださった大和さん、そして永松茂久さん。
本当に素敵な一日をありがとうございました。